夏休みなのでどこか旅に行きたいやねえと思い、M氏O氏らいつものメンバを誘って島根に行くことに。せっかく遠くへ行くんだし三泊くらいしようという流れで、島根だけでおおよそ三日を潰すというなかなか贅沢な旅行が決定した。
2022年9月12日
浜松駅→出雲市駅
深夜0時に親から車を借りて浜松駅へ。浜松駅からサンライズ出雲の寝台列車に乗って直接出雲市へ向かう。
深夜の浜松駅周辺は治安が悪いと聞いていたが静寂。人の気配がなくて逆に怖い。まあ近くで深夜以降もやってる店がコンビニくらいしかないし、人がいないのはそりゃそうではある
二人と合流してサンライズ出雲に乗車する。浜松駅からサンライズに乗るのは儂達だけじゃった。
一夜を過ごすことになった座席。床が固く電車の揺れがダイレクトに伝わってくるので熟睡は困難。浅い眠りを何度か繰り返すことで茶を濁し一夜をやりすごす。今度乗るときはアイマスクだけでなく耳栓も持ってこよう
うまく寝れず悶々としているうちに日が昇ってくる。ここまで来ると眠る気はあまりなくて、かといってすることもないので窓の景色をぼんやりと眺めることしかできない。まだそこまで年老いていないのと、旅行ブーストもあるので旅行中は寝不足でも大丈夫。おそらく。
そうこうしているうちに午前10時、終点の出雲市駅へ到着。近場のレンタカで車を借りて、今回の旅の目玉である出雲大社へ出発!
ちなみに儂は運転不可能ペーパードライバーなので運転は旅行中二人にまかせっきりじゃった 感謝
出雲市駅→出雲大社
カーナビの導きに従っていたら参道をパスする神社の横道を通るよう誘導され、本殿すぐそばにある駐車場に案内されてしまった。鳥居とか見てないのにいきなり神楽殿がおめみえ。
神楽殿よりも横にあるクソデカ国旗の大きさに圧倒された こんなデカい国旗初めてみたぜ
めちゃめちゃぶっといしめ縄を間近に見てああ島根に来たと実感。しめ縄のでかさから神社の強さを感じる。そういえば伊勢神宮にはしめ縄が無かったような。
出雲大社の主祭神はオオクニヌシ。葦原中国の国造りを中心的に行った国津神。後に天津神から強い要請を受け、国の統治権を全面的に譲り、当人は幽冥界(あの世)の主宰者となる。
こうしてみると出雲大社は、オオクニヌシが国譲りの恨みから怨霊になることを防ぎ、封じ込めておくために天津神たちが作り上げた結界のような場なのかもしれない。
本殿。参道をスキップしていきなり最深部にたどり着いてしまったのでムードとかもなくあっけない。
それにしても晴れていてよかった。旅行数日前までは台風がくるんじゃないかと心配していたがなんともなかった。太陽が夏のように暑いぜ。
本殿から逆走して参道を歩いてゆく。まっすぐで長い参道は歩いていて気持ちが良い。
歩きながらM氏と参道は産道のメタファーではないかという話をした。旅行をするたびに神社女体のメタファー説の話をしているような気がする。絶妙に気持ち悪い話題じゃ
運転中に鳥居を見なかったなと思ったら一の鳥居が全面改修中だった。まあ仕方なし
出雲大社→日御碕神社
駐車場へ戻ってドライブを再開。出雲大社から北へ上がっていくと出雲大社の祖神の神社として知られる日御碕神社がある。
出雲大社は定期的に改修されているためか建築が立派できれいだったけど、こちらはかなり年季が入ってるように感じた。江戸時代くらいに建てられたものが現存しているらしい。時の流れを感じるやねぇ
出雲大社の存在に隠れがちだけれど、こちらの神社もかなり格が高め。伊勢神宮が日本の昼を守るのに対して、日御碕神社は日本の夜を守れ、という勅命が下ったという由緒が残ってるとかなんとか。日本の夜を守るのに、主祭神は日の神の天照大神というのが興味深い。なんで月夜見を祀らないんじゃろ?
境外に雰囲気マシマシな稲荷神社へ続く道があった。朱色の鳥居といえば稲荷と相場が決まっておる
手前の鳥居が朽ちていて危ないぜ。でも手前や奥にある狐の石像は綺麗に手入れされている様だった。ここにもかなりの歴史がありそうじゃ。
ここで日御碕神社周辺にあった飯屋にて昼飯を食す
O氏がポツリと漏らした「味噌汁、海水の味しかしない」というつぶやきで謎にツボる 実際に飲んでみると本当にがっつり海水の味がして面白い 美味しかったです
日御碕の海沿いを散歩していたら「死にたかったらここから飛び降りて、死んでくださいね」みたいなスポットがあってとても良かった 子供がはしゃいで不幸が起こりそうな場所だ
日御碕神社→稲佐の浜→長浜神社
出雲大社の近く、稲佐の浜にある弁天島。島の周りは昔は海だったが、近年浜が広がって近くまで歩いていけるようになっているらしい。
この鳥居はどうやって建てたんだ?最初にここに鳥居を建てようと思った人の心意気がすごい。
稲佐の浜はオオクニヌシとタケミカツチが国譲りの交渉を行った場所だったり、10月に全国の神が島根に足を踏み入れる最初の場所だったりするとかなんとか。
稲佐の浜から南下していくと長浜神社がある。長浜神社は出雲国風土記の冒頭にある国引き神話の主人公八束水臣津野命(やつかみずおみずぬのみこと)を主祭神としている。元々はここが浜だったということかな。
車じゃないと来れない場所だからか人は全く居らず閑静な雰囲気。
この鳥居は珍しい。藁座鳥居か?現物は初めて見た。
珍しい三輪鳥居もあった。レア鳥居に注意を向けすぎて本殿とかの写真を撮るのを忘れてしもうた
これらの珍しい鳥居はけっこう最近建てられた模様。鳥居の裏に『還暦記念』と書いてあったので氏子の還暦祝いとして奉納されたものみたいじゃ。
長浜神社にも稲荷社があって、その後ろに狐の石像が並べてあった。いま見たら真ん中の狐の頭が完全に削れていて怖い。
長浜神社→那売佐神社
山の中で車を走らせていると急に鳥居が現れる。
200段以上ある階段を昇ると本殿があいまみえる。引きこもりにはこの段差は辛い。階段を上る途中で大量の蚊に襲われ、虫よけスプレーを持ってくるべきじゃったと後悔。
近くにあった案内板によると、オオクニヌシの嫁であるスセリビメが、ここの岩に流れる渓流を見て「滑し岩なるかも」と言ったことに因んでできた神社らしい(なめし→なめさ)。それで神社になるなら、もうなんでもアリじゃないか?
屋根からパイナップルの頭頂部みたいな草が生えてる!と思って撮った写真 今パイナップルの画像を見たけど全然違うな
階段をのぼってかなり汗をかいたため、近くにあったスーパー銭湯に寄って休憩。
スーパー銭湯は初めてだったので(嘘ですが)、タオルが無料で貸し出されるものと勘違いしてバスタオルなしで入湯してしまった 幸いにも汗拭き用のタオルは持ってきていたが、汗臭さを我慢しながら体を拭く羽目に
平日の夜だからか、銭湯の客は年配の方が数名だけ。帰り際に「若い奴がおるね」と呟いていた
飯をどこで食うか決めておらず、カツ丼を食べたいO氏と焼き肉を食べたいM氏で意見に相違があり揉める。それならという折衷案で出雲市のイオンのフードコートに行く。二人とも当初の予定をあっさりと変更し、O氏は唐揚げ定食、M氏はハンバーガーを注文。M氏のハンバーガーセットが値段の割に具がペラッペラで面白かった。
夜飯をどこで食べるかあらかじめ決めておけばよかったと少し後悔。その後そのまま投宿、就寝。
2022年9月13日
宿→須佐神社
9時くらいに宿を出発してまずは須佐神社へ。
須佐はスサノオの名前からそのまま付けられている。スサノオがヤマタノオロチ退治の後にこの土地を気に入って自分の名前をつけたことが由来だとか。
なかなか風通しのよさそうな拝殿
そういえば、参拝方法は基本的に二例二拍手一礼といわれているけど、出雲大社では二礼四拍手一礼で行うよう伝えられているのが不思議じゃ 四って死を連想させる不吉な数字という印象だけども オオクニヌシが常世国の主宰者になったことに関係してるとか?
須佐神社の向かいにはスサノオの姉アマテラスの社があり申した。こちらは最近改修されたのか監視カメラがついてたりと設備が色々と新しめ。
須佐神社→たたら角炉伝承館→稲田神社
須佐神社を出た後、近くを調べていたら角炉伝承館というのがあるらしいのでそこへ寄ることに。(撮影禁止だったので写真なし)
行ってみると全く人の気配がなくもしや廃墟か?と思ったが無人の資料館だった。来たら自分で照明つけて勝手に覗いていってね、というスタンス。館内は意外と綺麗に保たれていた。明治時代以降の近代的な製鉄技術と、古代から伝統的に続いていた技術を融合させたたたら角炉にまつわる記録が、当時の建物や設備と共に保存されている。
伝承館の裏庭には金屋子神社があると案内に書いてあったが、あまりに道が整備されておらず蛇もいたので行かなかった。金屋子神社は島根県全体に点在しており、製鉄関連でのご利益がある土着神を祀っているらしい。ここからも島根で製鉄業がメチャ盛んだったことが分かる。
もう昼時になっていたので、奥出雲で評判のそば屋「一風庵」で割子そばを食すことに。休日はさわやか並みに混むらしいが、平日でタイミングも良かったためかすんなり着席できた。
そばもうまいけど天ぷらと塩がウマかった
店を出て次の目的地である稲田神社へ。
車でそのままくぐれるタイプの鳥居。出雲大社ではくぐれなかったのでくぐれてちょっとうれC
稲田神社は名前の通り、イナタヒメ(クシナダヒメ)を祀る神社。イナタヒメはスサノオの妻にあたり、この地域一帯はスサノオによるヤマタノオロチ退治の説話の舞台だとして知られている。
神社の境内には有名なそば屋があり、本当はここで昼飯を食べたかっただったのだが残念ながら定休日。
— 朝比奈理比子 (@SINC865p) 2022年9月13日
人が全く居らず雰囲気はとても良い。ここで幼少期を過ごす子供が羨ましいとM氏。たしかに子供がめちゃ健やかに成長しそうな場所だ。ここでセミとりとかできるのがうらやましいぜ
鳥居から外に向かって見える風景。THE・田舎の田園風景って感じで良か。
近くに学校があったのかわからないが、何故かJ-POPの音楽がどこからともなく聞こえてくる。稲刈りの作業用BGM?
稲田神社→大呂神社
ここからは田んぼの道を行く。
風景はかなりエモいが、道幅がレンタカ一一台分しかなく少しハンドル操作を間違えると田んぼに落下してしまうため、運転が不安で気が気でない。落下したら死ぬS字クランクを運転してもらってる感覚。
儂が運転していたら間違いなくJAFっていた ありがとうM氏O氏
狭い道をおそるおそる進んでいくとぽつりと神社が現れる。
鳥居は白くて比較的新しめ。裏を見ると平成14年建立の記載があったので、儂達とだいたい同い年じゃ
急な階段には木の枝や草がけっこう生えていたけど、手すりがついていてかなり良心的じゃ。小さいけど、地元の人にしっかりと信仰されている神社のだろう。
本殿はかなり年季が入っている。ここに祀られているのはスサノオとアマテラスが誓いを立てた時に産まれた五男三女の神。主祭神が天津神というのは島根だとマイナなイメージがあるけど、どうなんだろうか。
神社からみた景色。この景色がずっと昔から続いてきたと思うと得も言われぬ心地になるぞよ。
大呂神社→磐船神社(!)
磐船神社までの道と、磐船神社の参道は本当に最悪だった 本当に死ぬ(レンタカーぶっこわれ的な意味で)かと思った 余裕がなくて全く写真を撮れなかったのでストリートビューから画像を拝借します
磐船神社は大呂神社から一つ山を越えたところにあるらしく、カーナビから山道を行くように誘導される。
道を行くと何やら怪しい看板が。
「この先 急カーブ」「幅員減少 2.5m」?既にめちゃくちゃ嫌な予感がするが今更引き返すわけにもいかないのでそのまま進む。
かなり狭い。
ストリートビューでみるとそこまでではないが、儂が行った時は草がボーボーに生えていたのでレンタカーが傷つかないかめちゃめちゃ心配になる。
ここが県道?狭すぎるだろ!!!というか急カーブの途中で対抗車両きたらマジで詰むだろ!!!!!!!とかいいながら初心者マークをつけているM氏の運転をやかましく見守っていた(すまんね)。
いや怖いって!!!!!!!怖い怖い!!!!!!!
ここで対向車が来たときの絶望感やばそう。運転初心者が運転していい道じゃねえだろこれ。下手に整備されてるのが逆にムカつくぜ。「いやちゃんとした道ですから普通に通れますけど?」って言われてる気分になるんだが!!!!
あとこういう山道によくある「落石注意」の看板も非常にムカつくぜ どうやって注意すればいいのかちゃんと教えてほしい、切実に(冷静に考えると、落ちてくる石ではなく既に落ちている石に注意してね、という意味なのだろう いや分かるけども)
長い山道をなんとか抜けると道幅は一気に広くなり、磐船神社はこちらという目的地の案内看板を発見。ようやくヤバ道を抜けたか……と安堵した。この先で更にヤバい道があるとはつゆ知らず。
磐船神社での出来事は画像が用意できなかった為割愛。
レンタカーの安全運転機能で、車線をはみ出した時の警告音がずっと鳴り響いていて怖かった。ここでレンタカーに傷がつかなかった(たぶん)のは本当に幸運じゃった……
磐船神社→伊賀武神社(八重垣神社)→木次神社
磐船神社から遁走していた時に見つけた神社。参道がちゃんと整備されているって素晴らしい。
先週に来た台風の影響か、枝とか草木がたくさん落ちていた。
祭神は昔までイソタケルノミコトとタケミナカタの二柱だったが、明治時代の合祀などあって今では天津神の神など合わせて9柱が祀られているとのこと。
ところでなんで神の単位って「柱」なんだろうか 木が神の依り代になる、みたいな思想から来てるのか?
長野には御柱祭があったり、出雲大社や伊勢神宮は本殿の中心に御柱が立っていたり、なにかと柱は神との結びつきが強いイメージがある。木に対する原始的な自然崇拝と人間の想像力から神が生み出されたから、と想像。
続いて宿の近くにあった木次神社。
木次はきすきと読むらしいが、昔は「こすき」と呼んだとか。読み方はあんまり重要じゃなさそう。
木次という地名の由来は、オオクニヌシが兄弟の八十神を追い払う時に、この地まで「来過ぎ」てしまったということから。島根、地名のつけ方が全体的にしょうもなくて良いねぇ。
最近改修したのか、木はけっこう新しめ。神社では珍しく参道が屋根で雨から守られている。神門から拝殿までは雨に濡れる心配なし。
なんか古そうな板絵が拝殿の横に飾ってあった。何故ここに?と思ったが、これは元々神門と拝殿の間の屋根に飾ってあり、屋根を新調するにあたって拝殿横に移されたものらしい。
何の絵なんだろう、なんとなく源平合戦っぽさがあるけど
木次神社→宿
二日目の宿は旅館。
大正時代から続く歴史ある旅館に宿泊。
めちゃめちゃ旅館だ……
三名で予約したら、二階にある三部屋を全部手配してくれていた。なんか逆にもったいないと思うくらい広い。かなり歴史のある旅館なのは知っていたけど、ボロさが全くなく、しゃれた感じで良さげじゃ。
何度見てもこの空間が良すぎる。この空間を眺めるために今回旅館を予約したといっても過言ではない。
ここの椅子に座りたいとか、この空間でくつろぎたいとかいう感情は全くなくて、ただただこの空間を鑑賞していたい、ただ茫然とこの空間の存在を身近に感じていたいという欲望が儂の中にある。儂にとってここは空間的な芸術作品なのじゃ。
窓からは庭園が見える。奥にある家っぽいのは茶室になっているのだとか。
その後、近くの銭湯でゆっくりして、帰りにスーパーで半額寿司を買い旅館で食す。
明日に備えて早めに就寝。22時に寝るのなんて久しぶりじゃ。
2022年9月14日
朝、早く起きて旅館のあたりを散歩する。
川を渡る橋。右にある木でできた何かが壊れてる。
橋からの眺望
木次線。
木次線の観光トロッコ列車に乗ってみたいと思っていたのだが、9月の平日は運航していなかたので計画の段階で断念した。また島根に来る機会があれば……(あるのか?)と思ったが来年度で運行が終了してしまうらしく無念。
宿→佐世神社
佐世神社の参拝口。完全に草木によって閉ざされ通れなくなっていた。秘密のダンジョンの入り口感がある
その代わりに軽自動車用の道があるのでここを昇っていく。
磐船神社ではこういう道を馬鹿正直に車で登ろうとして死にかけたので、車は入り口付近に停めて、徒歩で。
鳥居。
山の中だからか蜘蛛や蚊やカエルがうじゃうじゃしていてうひゃーとなった。
佐世という名前は、スサノオがヤマタノオロチを退治する際、頭に挿していた佐世の葉っぱが落ちたことからつけられたという。もうなんでもアリやね
本殿横に参拝芳名帳が置いてあった。年配の方のために老眼鏡まで備えてあり良心的。
せっかくなので儂も名前を記入。儂の前に記入された方は二週間前に参拝に来たみたい。わりと頻繁に人が来てるな。
境内社。賽銭を入れようとしたら蛇がいたことに気づいてびっくりした(写真にも写ってる)。儂たちに気づくと蛇はシュルシュルと社の中に消えていった。
右側面に赤い鳥居が置いてあり、小動物が出入りできるような穴が空けてある。
もしや蛇を飼ってるのか?いやでも稲荷だし。でも稲荷信仰ってもともとはキツネじゃなくて蛇から始まったという説もあるから、蛇を神聖なものとして祀っていても不思議ではないのか?さすがに違うか。
神社横にあった森の入り口。
森というか、ただの通り道のような気がするけど(うじゃ)。
佐世神社→須我神社
須賀神社。
ここの名前の由来も面白くて、スサノオがこの土地に来て「すがすがしい土地じゃ」と言ったことからスガ神社。そのまんますぎる
須我神社は日本初の宮を自称している。スサノオがヤマタノオロチを退治しイナタヒメと結ばれ、初めてこの地に宮を作ったという。
あとこの地で「八雲立つ~」という最初の和歌が詠まれたことから和歌発祥の地でもあるとか。主張の真偽はともかくとして、奈良時代とかむちゃくちゃ昔から存在してる、歴史ある神社みたいじゃ。
神社前の案内によると、神社近くの八雲山という山に須我神社の奥宮があるらしい。せっかくなので寄ってみることに。
登山口。思ったよりもガチガチの登山道っぽくて面食らう。軽装で来てしまったことを少し後悔。
道がけわC。
和歌が刻まれた石が等間隔で設置されているけど何が書いてあるのか全く詠めない。なんか定期的に蜂がブンブン飛ぶ音が聞こえてきて、恐怖で思わず足を速めてしまう。
20分ほどで奥宮に到着。でかい磐座が祀られていた。
奥にある一番大きい岩がスサノオ、左の岩がイナタヒメ、手前右の岩が二人の子供のスガノユヤマヌシミナサコヒロヤシマノミコト。もともとはこの地域の氏神として祀られていたらしい。自然崇拝じゃ。
奥宮の先も登山道が続いているみたいだったが、道がキツめだったので途中で引き返す。
須我神社→玉作湯神社
続いて玉造温泉が有名な玉造にある玉作湯神社。お昼時で温泉という気分ではなかったので温泉はパスした。
名前の玉とは勾玉のこと。
勾玉は何故こんな形をしてるのだろうという話題になる。儂は勾玉は胎児の形に由来しているという説を推している。勾玉を見てパっと思い浮かんだのが胎児のシルエットだったので。
地震がきたら倒れそうな常夜灯。本当にバランスだけで立っていたら面白い。
神社の祭神は勾玉を作ったタマツクリノミコト、あとは国づくりを行ったオオナムチとスクナビコナ。スクナビコナを祀っている神社があまり多くないのは何故だろう?
神社の裏には土俵があった。何気に神社にある大きな土俵を見たのは初めて。
玉作湯神社→八重垣神社
続いて八重垣神社へ。ここは松江市にあるためか人通りが多い。
祭神はスサノオとイナタヒメ。二人の恋愛成就の故事にあやかって縁結びの神社として知られている。たしかに参拝者にカップルが多いような気がする。
境内社で陰茎の石像が二つ展示されていた。亀頭のあたりに沢山人が触った跡があってなんか嫌だな。
男性器は展示するのに、どうして女性器は展示しないのか?という話になり、そもそも神社全体が女性器をモチーフにしているからではないか、という神社女体モチーフ説が再び議題に上がる。そうすると女性器に対応するのは鳥居ということになるけども。
夫婦椿。夫婦が寄り添っているように見えることからそう命名されたとか。儂にはエビが交尾してるように見える。交尾椿じゃあまりにもストレートすぎるか。でも子宝椿って書いてあるな……
八重垣神社→神魂神社
飯をどこで食べるか決めてなかったので、松江のイオンのフードコートで簡単に昼食を済ませる。松江城に行こうぜ、という話になったが思ったよりも入場料が高めだったので、やめて神魂神社の方へ行くことにした。
一の鳥居。四脚鳥居もそこそこ珍しい。今思ったけどこれ、四脚鳥居じゃなくて六脚鳥居って呼ぶべきじゃないか?
二の鳥居。雰囲気がものものしい。ちなみ神魂はかもすと読む。調べてみるとこの読みは神座(かみまします)から転化してかもすになったという説があるとか。
現存する大社造では最も古い本殿。この神社はアメノホヒがこの地に降り立って建立したものということらしいが、神話にはその記載はない。でも歴史があるのは間違いない。
稲荷社の下に狐の石像がズラリ。最初はかわいいと思ったけどじっと見つめているとだんだん怖くなってくる
この鳥居すごくないか?竹でできたすごい原始的な鳥居。奥にあるのは神籬。
今普及しているスタンダードな鳥居と違いすぎて良いな。
神籬の左奥に謎の洞窟がある。
何だろうと思って調べると、ただの防空壕らしい。いや防空壕だとして、なんでこのままにしておくんじゃ?
神魂神社→八雲立つ風土記の丘学習館
神魂神社近くに資料館があるので寄った。
館内は常設展の撮影・公開が許可されていたのでパシャリ。
ここ一帯の地域は意宇(おう)と呼ばれ、とても栄えていたという。ここ周辺で古墳や埴輪がたくさん見つかっているとか。
復元されたハニワ。宇宙人みたいでなかなかかわいい形をしておる
お土産コーナーにハニワのガチャがあったので引いたら馬のハニワが出た。鬣がまとまって触覚みたいになってるのがチャームポイントじゃ
八雲立つ風土記の丘学習館→宿
宿。宍道湖を一望できる部屋に案内された。
少し曇っていて夕日は拝めなかったが、景色はなかなかGoodじゃ。
夜飯。
松江のソウルフードであるカツライスが有名な店、という触れ込みで来たんだけど、間違えて普通にカツカレーを頼んでしまった。
美味しかったけど、カツライスも食べてみたかったのう
帰りに松江城周辺を散歩。夜の松江城は道が真っ暗で肝試しにちょうどよさそう。
2022年9月15日
宿→美保神社
宿で朝食を食べた後、島根東端の神社である美保神社に向けて出発。
四十分くらい車を走らせて駐車場に到着。漁港がすぐそばに見える。
遍在する稲荷信仰。分社とかも含めて稲荷神社がいくつあるのか気になって調べてみたら、おおよそ3万5000くらいあるらしい。だいたいセブンとファミマを合わせた数と同じくらいじゃ。
美保神社の祭神はオオクニヌシの息子の一人であるコトシロヌシと、オオクニヌシの后神のミホツヒメノミコト。
コトシロヌシは七福神の一員であるえびすであるという説が有力で、ここ美保神社と大黒天(オオクニヌシ)のいる出雲大社と合わせて参拝すると相乗効果で良いことありまっせ、という噂。抱き合わせで参拝するとお得ってなんか旅行のキャンペーンみたいだな。
拝殿。真正面から見ると存在感がスゴイ。神門あたりでこの写真を撮っていたら蜂がブンブン脅してきた。近くに巣があるんか?
毎日ここで神楽、巫女舞の神事が奉納されているそうな。宿の朝飯の関係で見れなかったのでまたいつか来て見てみたいやね
神社横の通りを散策。謎のアニメキャラがお出迎え。
しかしキャラクターの立ち看板には虚しさがあるよな そこにあるのはキャラクターじゃなくて、キャラクターの「絵」でしかないわけだから。
絵ではなく、キャラクターそのものをARの技術で表現できるようになったら、観光地のキャラクター産業は飛躍的に発展するだろうな
いい感じに寂れていて良い道じゃ
常夜灯と朽ちた鳥居だけが残された廃神社。貫の両端が取れて中山鳥居みたいになってる。
一度駐車場に戻り、島根の東端、美保関まで車を進める。
今回の旅行最後の鳥居。
ここはオオクニヌシと、息子のコトシロヌシが国譲りについて話し合いを行った場所。ここで釣りをしていたコトシロヌシは大国主から話を聞くと、「この国を天津神に譲りましょう」と言って海に飛び込み魚となったという。
一息ついたところで松江駅まで戻り、レンタカーを返却。飛行機で帰るM氏と別れ、そのままO氏と共にコンビニで買った昼飯を食べながら、特急列車で一気に浜松駅へ帰還。旅終了。
いろんな神社を回れて楽しかったね。
ちなみに今、旅行中に忘れていた憂鬱が怒涛の如く圧し掛かってきて、今にも体が張り裂けそうです。皆様も旅行の際は憂鬱量一定の法則にご注意を~。
反省
- 飯はどこで食べるか検討をつけておこう
- 田舎のヤバい道はなるべく車で行かないようにしよう
- 虫避けは必ず持っていこう
以上