儂の想う理想のキャラクター表現が実現するのはいつになるのだろうか

まだ実現には程遠い、という印象がある

 

中国がそういう研究に結構力を入れてやってるらしいのは知っている 最近は原神作ってる会社がいい感じの研究やっててオッとなった 頑張ってほしい

 

最近出たdesktop mateは良い

こういうのをオタクの皆が作るようになって欲しいぜ

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文章を出力しようとしてうまくできず、中途半端な状態で保存された下書きがたくさんある

自分の頭の中はいつもボンヤリとしている 何か物事を考えようとしても常に頭の中に霧がかかって出力することができない 曖昧なものを曖昧なまま出力しようとして書いた文章がしっくりこない そのしっくりこなさが怖くて途中で辞めてしまう 結果として何も形に残らない

頭の中のモヤを消す方法は多分わかっていて、とにかく無理矢理にでも出力して、それを評価して再出力する、を繰り返すしかない とりあえず出力しきって形になれば、それを自分なりに評価できるようになる 評価をすればより良い形に修正できる だから思考のプロトタイプをまず完成させなければならないのに、それをする勇気、あるいはやる気が自分には無い

不出来を厭わずに出力でき、評価のものさしが自分の中で確立している人はあっという間に成長していく 出力と評価を繰り返すことで常に具体的な完成物が手元に残るので、それが思考の土台になり少しずつ思考が洗練されクリアになっていく おそらく

インターネットに溢れている他人の出力はどれもクリアで刺激的だが、対して自分の脳内ではいつも霧がかかっている 霧を晴らすには、勇気を出して思考を止めず、出力を繰り返していくしかない 他人の出力を眺めているだけでは無理で、頭を自分のためだけに使わなければならない

とにかくやるしかない、ってだけの話なんだが

 


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良い眺めじゃ

 

 

首吊り公園の祠

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面接を受けてる時のワシ、滑稽すぎる

 

面接で研究以外に話すことが無さすぎるので、プレイしたギャルゲや読んだ本のことを話してごまかしている

この前は面接官がTo Heartを知ってて嬉しかったぜ

 

 

 

 

あるエッセイを読んでいて、ふと地元の公園にあった小さな祠のことを思い出していた

 

儂が小学生だった頃、近所の公園の真ん中には弁財天を祀った小さな祠があった 高校生になる頃には取り壊されていたが、それまではよく公園を通り道として利用したので祠も目にしていた よく祠の前に、地元の小学生の仕業であろう給食の余り物が供えられて(捨てられて)いたのを覚えている

 

公園のど真ん中に水神である弁財天が祀られていたのには理由があって 昔(昭和初期くらいまで)、その場所が深い森に囲まれた池だったかららしい

その池には伝承があり、「その昔池には人食い妖怪の大鱸が住んでおり、池で釣りをして遊んでいた子供が大鱸に呑み込まれたところを近隣の住民が退治し救出した」という こういう眉唾話が創作されるくらいには不気味な雰囲気の池だったんだろう

その後(どの後?)、弁財天が祀られた後は、年に一回祭祀が行われるようになり、その際には出店もあり大勢の人々が集まったとか 儂が見た祠は小さな倉庫と間違えるくらい小さかったが昔はもっと立派な祠だったのだろう

そして土地開発が進んであたりの森が消え、池が消え、周囲が住宅街になった後も、祠だけは公園の中に残された ただしそれは本当に形式的な名残でしかなくて、妖怪の出そうな不気味な雰囲気の森や池がなくなった時点で殆どの信仰は失われていたんだと思う 儂が子供の頃には、その祠の由来を理解している人も殆どいなさそうだった

真面目に信仰していたのは、時折公園で遊ぶ子供を捕まえて説教をしていた、いつも公園を掃除して祠も管理していたあの老人くらいだったんじゃないだろうか その老人が亡くなって信仰が完全に失われて、それで祠が取り壊されたのかもしれない

 

そんなことを思い出しつつ地元の資料を調べていたら一日が終わっていた

 

 

調べてるときに、小学生の頃何故かその公園が「首つり公園」と呼ばれてた理由も分かった

昭和50年代頃、その祠近くにあった木で本当に首吊り自殺があったらしい 20年前の2chの書き込みで知りほんまか?と思っていたがもっと古いブログにも記載があったのでどうやら事実らしい この事件が儂の代まで伝承されてたのって地味にすごい

オカルトって、こういう事件に尾ひれがつきまくって大きな虚像としてできあがっているんだろうな

 

ちなみに、2chの書き込みによると祠で祀られているのは弁財天ではなく大鱸らしい これがいわゆる妖怪の祀り上げってヤツか…

 

 

涼宮ハルヒの劇場 感想メモ

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たぶんネタバレ100%

 

・読み始めた瞬間頭の中で京アニっぽいアニメーション映像が流れ始めてきて凄すぎる 勝手にcv:平野綾ハルヒの声が聞こえてくるし京アニっぽいカットの映像が自動再生される 驚愕の時もそうだったけど、アニメ化せずとも勝手に脳内でアニメを見た自分になれる文章で良い

 

ハルヒの性格は儂が読んでいた東方二次創作イメージの宇佐見蓮子に近いような気がする

 ・「夢を現に変えるのよ!」的な思想と地に足のついた実行力、そしてそれが本当に作用しうる環境、というシチュエーションが似てるのかも

 

ハルヒ作品は語り手が一人で固定されているのが面白さであり不気味さでもあるんだよな 京極夏彦の妖怪シリーズで中禅寺秋彦が語り手にならないとか、東方で霊夢の視点で語られたことがないとか、そういうのと同じ作為を感じる

 

 

・マジで話が『ビューティフル・ドリーマー』じみてきている

 ・諸星あたると夢邪鬼がハリボテの舞台の上でくんずほぐれつするシーンみたいな描写がずっと続く この、小説の媒体だからこそできるなんでもありのカオス状態は生成AIっぽさすらある

・最近『ハルヒ』がソシャゲとかラノベの別作品とコラボしまくってるからそれの寓意も兼ねてるのかな、という気がしてきた。DMMの某エロソシャゲともコラボしていて見境なさすぎだろ、と思っていたが……

   ・あるいは大量に作られた二次創作作品に対する寓意なのか。昔の二次創作って世界観をガラっと変えたパロディがよく作られてた印象があるし 学パロとか。 だれかの用意した舞台でキャラがコピー、再生産される構造はレヴュースタァライトらしさもある

 ・あくまで寓話として捉えられるというだけで、安易なメタフィクションに頼らずハルヒたちのSF世界の中で解釈が完結してる、完結したまま物語を閉じようとしているのはめっちゃ良かった

 

・これ、アニメ化はしなくていいんだけどノベルゲー化してくれないかな ノベルゲーにしたらかなり面白い演出ができそう そしてエンドレスエイト並みに問題視されそう

 

ハルヒの解説書で何度も読んだ量子論の話だ!!

 

・最初の章って2004年に書かれたやつだったのか。昔すぎるだろ

 ・ハルヒ達は劇場に囚われていたせいで長い間新刊が出なかった……って事か!?!?!?

 

・というか作中の時系列的には溜息の後なのか ハルヒの言動から勝手に二年生の話だと勘違いしてた 黒幕っぽい天蓋領域の名前が出てこなかったのはそういうことね

 

・脱出直前のハルヒの「悪巧みの相談は終わった?」ってセリフが、なんか祭りの終わり際っぽくて良いですね まあこのセリフが溜息の直後の彼女から出てくるか?とは思うが。

 ・あと気のせいか、だいぶ長門のジェスチャや言動に人間味が出ているような?驚愕まで読んだのが大分前のことなのでよく覚えてないが

 

・寓話云々の話は偶然なんだろうけど、そこも含めてカオスな状態から上手いこと着地したなという感じはある。20年熟成させたからこそ後半に凄みが出てる。いやおもしれー