ブルーアーカイブはノベルゲームでありソーシャルゲームである

名取さなが案件をやってからずっと気になっていたブルアカ ついに手を出してしもいました

今しがたメインシナリオを現状読めるところまで全部読み終え申した 面白い!

 

 

 

ブルーアーカイブのメインシナリオ、めちゃめちゃノベルゲームとして完成していて感動した

 

このメインストーリーを漫画やアニメとかで表現しようとすると、絶対に別の違う作品になってしまうんだろうな

なぜなら、主人公であり特別な存在である「先生」が、プレイヤー、及び鑑賞者とは全く別の、切り離された存在として描かれてしまうから

 

 

ノベルゲーム(ギャルゲー)システムの大きな特徴として、「視点主人公」と「プレイヤー」が同化するというのがある 

 

画面上に主人公の姿が描かれることはなく、あくまで主人公の視点からみた世界が、背景絵とキャラの立ち絵、そして文章といった記号の組み合わせで描写され 

プレーヤはあたかも主人公の視点を借りてゲームの世界を仮想的に体験しているかのような錯覚におちいる

 

これはもちろん古来からのギャルゲー的な文脈で、特別な主人公の恋愛経験をシミュレーションするような意味合いがあるじゃろう あるのだが、もっと広くいえば、この演出はプレイヤーの「感情」を、ダイレクトかつ疑似的に「視点主人公」と共鳴させることを可能にしているのである

 

 

『運命に束縛されているキャラクター』を、その運命から解放してあげたい!」というプレーヤの祈り この祈りの感情が視点主人公と共鳴して、ゲームの世界が劇的に、動的に変化していくライブ感、高揚感 

これを強く感じることができるのがノベルゲームの特徴であり、儂がノベルゲーム大好きな理由のうちの一つじゃ

 

 

ブルアカは、こういったノベルゲームの特徴をちゃんと理解していて、それを踏まえたうえでの演出、シナリオが用意されている

 

「先生」が、ノベルゲームでいう選択肢形式で言動するようになっている演出とか(ブルアカには今のところストーリーの分岐がないので、選択肢が一つしかなかったり、複数でも選択には殆ど意味がなかったりする) 

 

「先生」が単なる主人公キャラではなく、あくまでプレイヤーの側に立つ人間であることを強調する演出のように儂にはみえる

 

 

 

 

あと、おそらくソーシャルゲームのガチャシステムが要求する「世界観の歪み」自体が、ブルアカの世界観にメタフィクション的に取り入れられていそうだということもこのゲームの特徴じゃろう

 

メインストーリーで起こる戦闘イベントは、基本的にメインストーリーにその時点で登場しているキャラクターしか使うことができず、しかもそのキャラのレベルは固定されている 

 

しかし、特定の戦闘イベント、『大人のカード』を先生が取り出した際の戦闘の場合、使用するキャラ、レベルの制限がなくなり、プレーヤがガチャによって獲得し、時間をかけて育成したキャラクターで戦うことになる

 

ふつうのソシャゲであれば「ここで、このキャラクターが戦えちゃうのはシナリオ上おかしいけど、これはソシャゲだから。システムの都合上しょうがないよね」みたいな感じで不問にしてしまう場面じゃ

 

だが、ブルアカではこれらの違和感を「大人のカードを使う」「大人の力を使う」といった言葉で、ゲームのシナリオ内で何度もしつこく表現しているところがとても気になった おそらくこのこともゲームの世界観に関連しているのだろう(そういうのめっちゃいいですね)

 

 

 

 

ところで儂は肝心なゲーム自体の世界観をぜんぜん理解できてないんですが、明かされていない設定に不穏要素が多すぎる気がします

神秘って何ですか?生徒って卒業したらどうなるんですか?キヴォトスで生徒以外に人間の形をした存在が居ないのは何故ですか?神明文字から生徒を生成できるってことは生徒は神秘的な存在か、あるいは人工物的な存在か何かなんですか?生徒に親って本当に存在するんですか?

 

まあこれから追加されていくシナリオでジョジョにわかってくるのでしょう わからなくてもいい気がしてきた できるだけ息長く続いておくれーっ