ブルアカの透明性について考えていたら一日が終わった
ブルアカってなんかすごく透明なものが積み重なって構成されているように見える
存在するけど、誰も意識しないものがそこにある、ということを意識せずにはいられない
必要性の無さ故に描写されることのなかったものの存在感の強さ そういう透明なもののパワーに儂は惹き付けられている
そんなの別にブルアカに限った話ではない、っていうのはそれはそうで
たとえば東方とか
東方の、非日常性を日常によって覆い隠すような物語の組み立て方は、どこかブルアカに通じるところがある
東方の場合は、透明な世界観というより、作者によって恣意的に隠されている、というイメージがあるけれど
儂が好きな作品って全部そんな感じだ
どんな作品であれ、その作品に横たわっている見えないものの存在(幻覚)を感じられるようになってからがオタクの始まりなのかもしれない
ツイッターを眺めるのが辞められねえ
この時間をもっと他の事に費やしていれば……と思うこともあるけど、面白くてやめられず続けている
誰かのツイートに興味があるというよりは、断片的なツイートを通じて、知らん人間のイメージが自分の中で徐々に立ち上がってくる感じが面白くてやり続けている
その人がいまどういう環境に生きていて、どんな世界に夢中になっているかをツイートから想像するのは面白い
タイムラインを眺めるだけで生きていきたい
萌えイラストと誰かの人生の断片を見てるだけでよくて、それを眺める視点以外の自分の全てを放棄したい 捨てさせてくれ プリーズ