闘神都市Ⅱのダイアナさん
闘神都市Ⅱで一番印象に残っているキャラクタじゃ 死んで幽霊になってもケロっとしている価値観の軽さが良い
最近けっこうなペースで絵を描いている気がする 絵を描きたいと積極的に思っているわけではなく、何かやらないとなーと思ったときに、自身に残っているMPと行動に伴うMPの消費量を勘案した結果絵を描くくらいしか選択肢が残らないんだよな
その時の精神状態によって各々の行動に伴うMP消費量は変化していて、精神が不安定な時は消費MPが高騰して何も行動に移せなくなる できることといえばコンテンツを受動的に消費したり無思考でできるゲームをするくらい
お絵描きは比較的何も考えずにできるのに加えて、絵という成果物が残るので罪悪感が少なく逃げの選択肢としては最善なのだ
↑この話前にもしたにょ ずっと同じ生活をしているし、同じ話を繰り返すと心地よい気分になるのでついやってしまう
同じ話を周期的に繰り返すだけのBOTになりたい
BOTといえば、ツイッターで人気のbotって、殆ど手動で動かしてる嘘のBOTか、中華系企業が運営してる(?)転載BOTが多いよな 前者に関しては実態はキャラクタのなりきり垢なのにBOT然としていたりしてモヤッとするぜ
儂はなりきりという行為を文章のコスプレだと思っているフシがある コスプレと同じように、キャラクタと重なろうとすることで、なりきる人のリアルな人間感が滲み出てしまっているように感じる
ツイッタで検索したとき、なりきりBOTを見かけるとウッとなってしまう いや別に良いんだけど、そのコスプレされた側のキャラクタが儂が知っているキャラクタとかだと、いやキャラクタの皮をかぶっただけの"お前"じゃんと思い微妙な気持ちになる
こういう言い方をするとVTuberにも同じようなことが言えそうな感じがするが、そうではない VTuberは自身がキャラクタの原典であり、演じるキャラクタそのものに比較対象となる原作があるわけではないからじゃ
でも、なりきり行為と二次創作でキャラクタを描くことってけっこう近いんじゃないか、みたいなことを考えている というより、その人の中のキャラクタ像を反映させる行為でしかないのだから、なりきりは二次創作の一つといえるのかもしれないな(そりゃそう?)
なりきりが持つ一番の特徴は、なりきる人が持つキャラクタの像を、その人の自己意識と重ね合わせているという点にあるだろう なりきりを観測する人からすれば、なりきる人そのもののキャラクタと、なりきる人の中にあるキャラクタのイメージと、なりきりを観測する人の中にあるキャラクタのイメージの三つの間にギャップが生じるわけである だから、歪なイメージを抱かずにはいられないのだ
一般的な二次創作でもそういう違和感はある あるがそこにはなりきる人そのもののキャラクタは介入しない お互いの頭の中にあるキャラクタのイメージという二者間のギャップが存在するのみで、現実の人間を意識しなくて済むのである
そういや中学生の頃にtwittbotでBOTを作ったことがあり、基本的に作りっぱなしのまま放置していたのだがこのまえアカウントを見たらフォロワー数が5000人くらいいてびっくりした モノンホBOTは定期的に同じツイートをくりかえして検索欄を汚染してしまうため消そうかと思っているんだけどどうしよう