興味とは深さと方向性つまりベクトルのようなものだと感じていて、興味の対象を始点としてそこからどこに向かっていくかは人それぞれなのだということがtwitterをみているとわかる 本当に人それぞれで、人それぞれ過ぎてオモシロ!と叫んだ今日この頃
わりかし儂は作品を分解するほうに興味が向かっていく傾向がある 作品の作者の好きな作品とかを探してみたり、好きな作品があったら元ネタがないか気になって調べていたりする あればそれをできるだけ集めて楽しむ そういう作品は対象の作品よりも古いことが多いので、一世代二世代まえの作品に触れることが多くなる だからどうということでもない
姫神(姫神せんせいしょん)の音楽を聴きなおして改めて感動している 中学校の頃に見せられた理科の映像のBGMみたいな音楽で時代を感じるけど、全くダサくなく陳腐さもない絶妙なテンポのインストゥルメンタル 最高か!
東方の元ネタという触れ込みで聴き始めて、たまに聴き返すくらいに気に入っている 曲にパワがあって、聴いていると自然的な風景が頭の中に浮かんでそれをぼんやりと幻視することができる これはある種の聴く麻薬
東方の音楽はこの点を受け継いでいるのだなとしみじみ 東方の音楽って聴いて幻想する情景に人が出てこなくない?
後ろ(?)向き いまだに服の描き方がわかっていない
最近は5ちゃんねるの平和なスレをみている 5ちゃんというと常に罵詈雑言が書き込まれているイメージがあったけれど平和な(過疎気味?な)スレには本当にやわらかな空気が充満している 穏やかインターネットがそこにあった わしが特にお気に入りなのはツバメの巣を観察・報告するスレ
平和なスレだなーと思ってみていたら急にやばい人が意味不明な投稿を連投しはじめることがある そうなったスレは大抵やばい人がずっと居続けて平和な雰囲気が終わってしまう 息長くおだやかに続いていたスレもやば人間の登場によって人が寄り付かなくなってしまう
平和な匿名インターネットはもろく、はかないんやね