ルーミアです
<キャラクタ名>ですと宣言することは割と大事
これを忘れるとただの金髪でリボンらしき装飾をつけたキャラクターになってしまうおそれがあり、よろしくない よろしくないと儂が勝手に思い込んでいるだけですが ニャモっとした嫌さがある(黒沢みなもではない)
どんなに金髪でリボンらしき装飾をつけただけのキャラクタに見えたとしても、これは<キャラクタ名>ですと言われたらそうか<キャラクタ名>なのかという気分になれる
そう考えると名前って凄い 気持ち悪い
解像度が低めなキャラクターを見るとすごく安心しませんか 儂は安心する
解像度というワードチョイスは良くないな 複雑でない感じ ただし単純でもない 複雑か単純かと言われれば単純寄りのゴニャゴニャさをもった感覚
わりと最近のキャラクター産業はキャラクターの人間性の複雑さをウリにしがちな気がしている 二面性 矛盾 これは儂の偏見なので実際のところどうなのかは知らん そうでもない気もしてきた
キャラクターがリアル化している? キャラクターが生まれる世界観がリアルに寄り添いがちになっている? うーんそうかもしれんしそうではないかもしれない
どちらにせよ最近のキャラクターから不安を覚えることがわりと多いという事実があって、それがなぜなのか、複雑さの問題なのかもなと思っているという話なのですよ
キャラクターが人間らしく洗練、純化されてきているというのはほんとうだと思う なんでも洗練される時代じゃ
あまりに人間に洗練されていると逆に不安になるでしょう(単に儂がコミュ障だからという可能性がアリ……)
洗練されることは決して悪いことではなくて、昔のキャラクターにあった『消費されるためにデザインされて産まれました』感が薄れているのはとても良い
でもちょっとした雑っぽさを勢いと熱量で押し通すぜ!みたいな昔の作品のノリを儂はかなり気に入っているので、そういう些末なギャップが重なり膨らんで儂の不安感を生み出しているとかはあるかもしれませんわね
Di Gi Charat 今期のオススメアニメだにょ
良かね 良き混沌だ
二話の「さくら さくら」と四話の「ラ・ビ・アン・ローズと呼ばないで」が特に好き タイトルがシャレオツじゃ
病気になると人格が死んで別人になるの、怖すぎる うさだ以外のキャラが当たり前のように別人格のでじこを受け入れているのも怖いぜ