存在とイメージ

ゆゆ式の櫟井唯

このポーズは何か?→ポーズ集サイトからランダムに選んでパッと出てきたやつ

しかしどうも儂の描き方がまずくポーズが崩れているような

 

 

ある対象が存在しているということを実感するためには個別的な経験の蓄積が必要だと思っていて、これは虚構の対象に対しても適用できる 

ただし虚構的な対象は現実に存在しないので、現実世界で虚構物について個別的な体験をするのは難しい。そのため経験を脳内でシミュレーションすることによって、疑似的に虚構的存在の輪郭をとらえ浮き上がらせようとする。

ここで必要となるのが経験を脳内で再生する能力で、つまり想像力のようなサムシングなわけじゃが、儂にはこの能力が決定的に不足している 最近ヒシヒシとそれを感じている

 

この能力は創作をする際によく求められる たとえば絵を描くとか、小説を書くとかいったことは、個別的経験を脳内で再生して、それを文章や絵に写し取ればよい。この「イメージを写し取る」能力自体は技術なので、ある程度の水準までは育て上げられることは想像できる では、写す元となるイメージはどこから産まれているのか?イメージの量、質は、インプットの量や質を前提としても、その人のオリジナリティに依存しているのではなかろうか?

儂はずっとそんなふうに考えていたわけじゃが、最近は少し考えが変わってきている どちらにせよ儂の創造力が不足していることに変わりはないが……

 

 

 

クロシオカレントという漫画を読んだ すごすぎ 天才じゃん

空気系の漫画なんだけど疾走感がすごい これ読めば読むほど加速してくやつだ(それはそう) たぶん最後はすべてが加速してぜんぶ一緒になって終わる

個別経験がぶよぶよ足されキャラクタの立体感が増していく感覚を久しぶりに味わえて良かった

最近新しく物語に触れてこなかったけど他のも読んでいこうかね!