文章と思考

文章が書けねー

 

作文の課題とかでまとまった文章を書かされる機会があるが、毎回ちぐはぐて筋の通ってない文章を生成して苦しんでいる 儂にもう少し作文能力があれば…とその度に思う

 

文章を書くことと思考することは殆ど同義で、儂はうまく思考することができていないのだと思う。たとえば何かしらのテーマが与えられて、それについて何かを思考しようとしても、何も浮かんでこない。本当に全く何も頭に湧いていないわけではなくて、断片的な単語とかは浮かんでいる が、それらの単語をお互いに関連付けて結びつけ、文章として形作るということができない。

出力できるのは単語だけで、毎回それらを苦しみながら無理やりくっつけて形にしている。そうやって、ちぐはぐで、文章のような体裁をもっただけのキメラができあがる。

 

親に文章をどう書けば良いかを聞いたことががあり、親は段取りをちゃんととれば自然と文章ができると言っていた。そのときは確かにそうか、段取りさえとれば良いのか!と納得したが、実際に、親に薦められたように段取りをとってみても、ちゃんとした文章ができたことはなかった。

たとえ文章ができたようにみえても、それはどこかで他人の文章を軽く編集しただけのものになっている。他人の文章をお手本として、それの言葉や順序を入れ替えただけのもので。テーマに沿った自分の考え、思考が、文章でしっかりと表現できた、と実感したことは一度もない。

 

段取りをとるということはつまり思考を分割して、思考のリソースを集中させるということだろう 思考を分割しまくって、単語レベルに小さな部品についてまず考える そこから部品を少しずつ組み合わせて行って大きな思考のかたまりを作り、そうしているといつのまにか自然と文章ができあがっている、というカラク

いやいやいや 思考を分解して、何? 小さな部品をつくるのはわかった だけど、その部品をどうやって組み立てるんだ?組み立てるための設計図は、どうやって用意するんじゃ?思考を小さなレベルに分解して、それを組み合わせて文章を作ろうって、結局それは問題を循環させているだけで何も解決しないのでは?

 

作文には直観的な結論が先にあり、それが設計図として機能しているのではないか と考えてみたが、結局その直感的な結論が浮かんでこない場合はどうすることもできない それもまた思考の一種だと儂は捉えている

 

 

結局、思考を何に沿って組み立てているのかなんて誰も教えてはくれないし、だれにも教えることはできない みんな感覚的無意識的にそれを行っている しっかりと組み立てられた製品を通じてしか、その人の説明不可能な思考形式を感じることはできない、と思う