今回は文章をマジで何も書き直さずに吐き散らしてみる
儂の文章は後から読み返すと妙な読みづらさがある
副詞を置く位置というか、順番というか、とにかく文章の構造構成がミョーに遠回りしていてまだるっこしさがある
まあそんなこたあどうでも良し
僕……カッパだから pic.twitter.com/ddA1RTZ2WY
— 小林 尽 (@jin_kobayashi_) 2020年6月22日
スクールランブル一期観終わった! めちゃ面白アニメだった
内容は本当に王道ラブコメといった感じで ラブ&コメディーだけどラブ:コメディーがだいたい1:3くらいの割合 四コマならコメディーコメディーラブコメディーみたいなテンポでラブが挟まれる
こういうラブコメを観てると本当にコメディー要素だけあればいいなと思う ラブ要素は物語の引きとしてとりあえず用意されましたみたいな感じがある
しかし実際はラブ要素がなければラブコメ特有のテンポが生まれずにふにゃっとした感じになってしまう
まあ儂はそういうふにゃっとした(というか、日常系の)作品も大好きだけども しかしラブ要素を挟み緊張と緩和の波を作り出すことでしか味わえない面白さもそりゃああるわけで
まあともかくオモロいアニメじゃった……(そわ)
二期も観るやね
ところで、一期最終話が実質ビューティフルドリーマーだった話するか?
最終話だけ少し異質な構成になっている 主要人物たちの関係性に進展があったと思えば「それは主人公の描く漫画の話でした」「それはヒロインがみていた夢なのでした」といった感じで妙にメタなオチによって振り出しに戻されてしまう
極めつきは、ED後ラストの烏丸大路と塚本天満の会話シーンじゃろう
烏丸「やっと目を覚ましたね、塚本さん」
塚本「そっか……私、夢見てたんだ」
烏丸「大丈夫?」
塚本「ぅ、うん、でも……もう少しこうしててくれる?」
烏丸「いいよ」
塚本「烏丸くん」
烏丸「なに」
塚本「これも、夢かな」烏丸「塚本さん。僕たちは夢の中にいる。青春という夢の季節に。
夢はいつか醒めるけど、思い出はいつまでも輝き続けるんだよ」
おい!!!
やっぱこれってビューティフルドリーマーやんけ!!!!(そんでもって、ブルーアーカイブ的であり、けものフレンズ的でもあり、あらゆるキャラクター主体の虚構作品の根底にあるテーマでもある)
それまでの経験が夢、作品、ゲーム等の虚構に過ぎなかったことをキャラクター達に自覚させ、そして、虚構から脱した今現在も、キャラクター達は虚構の中にあり続けているという事実を思わせる演出で締めくくられる 無限降下的な終わり方
この終わり方は、ある種の「終わりえない物語」に無理やり終わりを与える方法としてしばしば使われているような気がする
そしてこの演出は特に作者以外の人間によってなされることが多い(スクールランブルはたぶん違うけど!) 原作者ではなく外部の人間がビューティフルドリーマーを作り、儂の「うる星やつら」を終わらせてしまった事例のように
ビューティフルドリーマー以外でいえば、長門有希ちゃんの消失(涼宮ハルヒのスピンオフ)、ダンガンロンパとか、個人的には東方の某二次創作とか、とにかくそういう例を挙げれば枚挙にいとまがなし
こういうちょっと物語の最後の方に配置されるメタっぽい演出をみると、毎回ゲニャっとしたかんじになる
なんというか、虚構の世界からこっちの現実世界側の自分に視線が向けられてウヒャーみたいな感覚(?)に
さっき引用した烏丸と塚本の会話だって、その会話が誰から発されているのかはよくわからない あのシーンは明らかにそれまでの話の流れとは分断されているし、どのようなシチュエーションなのかがはっきりとしていない
こういうメタな演出では、その台詞が一体誰のものなのか、キャラクターのものなのか、虚構を作り上げている製作者のものなのか、作品を見ている自分のものなのか、曖昧になってよくわからなくなる
ともかく、それまでの作品の流れとは別の、どこか浮いたところから現実世界の自分に向けられた矢印のようなものを感じて、良いとか悪いとかではなく、ただただゲニャっとした感じになってしまうのじゃ
うーん