ブルアカを起動したら誕生日を祝われた 嬉しっ
家族以外の人間に誕生日を祝われたことがなかったので新鮮じゃ そしてこういうところに新しさを感じてしまう自分が普通に悲しい
「お祝いの言葉は、どれだけ繰り返し言っても価値の下がらない、完璧な言葉の一つです」まじでそう
誕生日とか正月とかって、それ自体に何か意味があるわけではない
地球と太陽の位置関係が生まれた時と同じなこと自体に別に意味なんかないし、だから何?と言ってしまえばそれまでの話でしかない
だけど、そこに「誕生日」「目出度い」といった祝いの言葉をラベリングすることによって、意味の無さに蓋をしてスキップことができる スキップした先にあるのは「目出度さ」をコミュニティ内で共有し合うコミュニケーションである(儂には無いけど……)
現実的な意味を持つのは、誕生日の実質ではなく、それに伴うコミュニケーションでしかないから そういう無意味から意味を生み出すまじないとして「目出度い」とか「誕生日」とかいう概念が存在し続けてきたのだと思う