よつばとのアニメ

で。えー、なんでよつばがアニメになってないかです。

一番大きいのは「よつばと!」をアニメにするのは、とても難しいってことです。

とりあえずアニメにする、ならできます。

例えば、よつばが綾瀬家に遊びに行くってシーン。

よつばがドアを開けて走っていって「こんにちはー」と言う。

カットをポンポンといくつか使って、数秒で終わりそうなシーンです。

それでいいなら出来そう。

でも、「よつばと!」なら、よつばがよいしょよいしょっと階段をおりてきて、てけてけと廊下を歩き、

でんっと玄関に座ってヘタクソに靴を履き、よっこらしょっと重い玄関のドアを開けて、元気よく家を出て行く。

そういう、普通アニメでカットされそうな描写もやらないと、アニメにする意味が無いと思うんです。

で、こういう日常の演技描写はアニメの最も苦手とする分野です。

よつばと!」は漫画をそのままやっても「よつばと!」になりません。だから「よつばと!」をアニメにするのは難しいのです。

ちよちゃんや大阪が卒業していった、それを無にしないために、よつばとでは一歩進まなあかんねん、とやってます。

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禿同

 

ふつうアニメといえば物語の展開をウリにしているようなところがある

一話の中に展開や物語としての面白さを詰め込むために時間の流れが都合よく省略されていて、これによって視聴者はスムーズに物語を楽しむことができる

 

そういうアニメももちろん良いのだけど

作品の世界が現実と同じように時間的に連続して存在している、というリアルな感じを極限まで追求したアニメも観てみたいと思っている

 

テンポよく場面が転換して展開がめまぐるしく変わっていく作品でも、実際の作品の世界には(物語の都合によって)省略されてしまった時間が存在している筈なわけで

この、作品を洗練するために省かれてしまった、展開と何ら関係のない冗長な時間にこそ、現実的なリアリティが込められているような気がしている

 

この美的感覚?は物語の面白さとは別の評価軸として存在している

とにかく儂はアニメという表現でも、「世界、在るやん…」て思いたいんじゃ

 

なので、物語的な展開を抜きにして、よつばの世界の存在をひたすらに描いている「よつばと!」は、「よつばと!」のままアニメになってほしいと思っている

 

 

 

まああずまきよひこ先生本人も言っているように、展開に関係ない冗長さを盛り込んで1クールのアニメを作るのはたぶんめちゃ難しく、まず商業的に成立しないじゃろう

一話に盛り込める展開の総量が極端に減ってしまうので展開的な面白さに乏しくなり、その上作画のコストも高くなり、苦労してやったところでウケるかどうか分からないので

 

これをやれるチャンスがあったのって、たぶん涼宮ハルヒの二期くらいだろうな

エンドレスエイトを8話やるくらいならサムデイインザレインを8話分に引き延ばしてやって欲しかったぜ(と、思ったけどサムデイインザレインは一期だったっけ)