偽物語

中学、小学六年生くらいの頃から今までの自分は、たしかに自分という連続した存在だ、と感じている 別人ではないという意味である

逆に小学六年より前の自分は、自分では無い別の存在で、死んでしまった過去の存在だと思う

 

多分儂の思春期が小六あたりで訪れたということじゃろう 思春期には成長というより、急激な肉体の変化による精神的な死、記憶をそのままにした生まれ変わりというイメージを持っている だれも怖がらない通過儀礼としての死

 

儂は小学二年生くらいの頃からインターネットに触れていて、カービィの某非公式ファンサイトのテキストチャットや掲示板に入り浸って他人と交流しまくっていた 

今の儂は悪い意味で社会性が無いが、昔の儂は良い意味で社会性が無かったと思う 

チャットを通じて他人と喧嘩をしてたし、迷惑もめちゃくちゃ掛けてたので良い!というと語弊が有りそうだが しかし自意識で他人と交流できず引きこもっている現状と比べれば格段に良かったと言えるだろう

 

しかし、小学六年生になったあたりでばったりとそういうことをやめてしまった

テキストチャットに行かなくなった最初の頃に感じた、後ろめたさのようなものを今でもずっと感じ続けている 切り分けられて死んだ過去の自分に対する、ばつの悪い微妙な感じをずっと

 

 

自分が明確に別人になったと自覚しているのはその一回だけだけど、他人はどうなんだろう

なんとなくだけど、人間的に優れている人は経験が豊富で、そのため過去の自分の別人化の回数が多い人という印象がある

たとえばツイッターの垢が頻繁に変わる人は、社会性があって優秀な人なんだろうなと思う 

まあこれは完全な偏見だが