漫画喫茶2
また漫画喫茶へ行った 前回読み切れなかった漫画を読むべく早朝4時に出発
今の時代漫画アプリでたいていの漫画は配信されていて、わざわざ漫画喫茶に行かなくても無料で読みたい漫画を読める でも漫画アプリは一日で読める量に制限をかけていることが殆どで、目当ての漫画をより多く読むために広告動画を再生したり作業をしたりする必要がある 金の代わりに時間を奪ってくる そういうスタンスに腹が立つので漫画アプリをあまり使う気にならない いや課金すればいいだけなので別に腹は立ってない ただ漫画喫茶で読んだ方が安上がりというだけ
以下読んだ漫画の雑感
俺ガイル
終盤に差し掛かるにつれて明らかに作者の絵が安定して上手くなっている これ、なんか寂しいのでできれば漫画家は最終巻から描き始めてほしい 終盤につれて、絵はむしろ発散していって欲しいという無茶な願望がある ラストに向けて収束するより、最後に向けて爆発していった方が良くないか?
やっぱり漫画って小説よりも客観的だ 漫画は小説よりも視覚的だから、どうしてもそこに客観性が生まれやすいんだろうな
俺ガイルにもPSP版のノベルゲーが出てるらしい
物語が完結した後にノベルゲーで別のヒロインと結ばれ√をやるのって、冷静に考えてどうなんだ 原作厨はどう捉えてるんだ
原作で描かれた『主人公があるヒロインと結ばれる可能世界』と、ポータブル版で描かれる「主人公が他のヒロインと結ばれる可能世界」とを同じ枠組みで捉えてしまってええんか!?!?というざわつきが儂の中では発生するのだが
(PSP版の)そういう世界がありうる、ということは認められるけど、でも、その世界は果たして、原作の世界からの分岐、繋がって存在している世界だ、と認めてしまって良いのだろうか!?!?可能世界ごとのキャラの同一性を、儂は、みんなは、いったいどう捉えてるんだ!?!?!?
これは単に受け止め方の問題だと思うけど、それでも、儂と同じようなざわめきを感じる人はいるのか気になっている
今知ったけど俺ガイルは二人別の漫画家によって二回コミカライズされているらしい 儂が読んだのは妄言録のほう
もう一つの方も漫画アプリで読めたのでちらっと読んだが、こっちの方が原作に忠実という感じだ 儂が今回読んだバージョンの方がより漫画的というか、視点が客観的じゃ 主人公が全然内面を語らない
儂は主観的な方が好きになる傾向があるが、今作は客観的な方がよかったかもしれない
アニメ版はどうなってるのか気になる アニメも観るか…んで、やっぱ原作もAudibleで聴くか…
あまり関係ないけどふと思い出した話 シュタインズゲートについて 儂はアニメ版より原作ゲーム版の方が好きだが、この前儂の好きな漫画家がアニメ版の方が好きということを知り、意外で驚いた
その人曰く、キャラ同士の関係性がしっかり固まらないまま物語が進行していくシュールな感じが良い、らしい 儂はむしろその感じにじんわりと不安を感じていたので、全く真逆の感性をしていると感じた こういう現実的な緊張感に楽しさを見出せる人はすごいと思う
スケッチブック
間の四コマ漫画だ 雰囲気と絵柄の素朴さの組み合わせも相まって良いかんじの漫画になっている
きらら系4コマは会話でコマが埋め尽くされているイメージなんだけど この作品はそうではなく「間」の表現にコマが消費されている
あずまんが大王にも間の表現がある きらら4コマはらきすたあたりの会話4コマの系譜を受け継いでいるということかね
儂はこの間が凄く好きじゃ アニメ版でもこの間に時間をかけていてとても良かった
最初の頃の主人公の会話拒否っぷりがすごい
儂も急に話しかけられたらなんもしゃべらずジェスチャしてしまうな なんか喋らなくては駄目か!と決意するとなんかは喋れる 会話が成立してるかどうかは判断できないので総じて微妙な空気になるが
初対面の人に「緊張しなくていいよ笑」と言われることがしばしばあるが、こう言う人って他人の緊張をコントロールできると思ってるのか 「その緊張をずっと維持してろ」と言われたことが一回あり、こっちの方が楽な気持ちになれた 人にはそれぞれの楽になり方がある
面白ー
漫画ブーム到来
とりあえず漫画喫茶に置いてなくて読めなかったGA 芸術科アートデザインクラス をポチった たのしみだズェ(cv:日下部みさお)